統計データで未来に立ち向かう

まず一つの事実を確認しておこう。株式投資はギャンブルとは決して違う。
一方で、市場参加者としてみた時、株式投資は競馬に似たところがある。競馬は一般的にギャンブルに分類されている。
速いお馬さん(優良企業)はみんなが買うからオッズが低く(PERが高く)、遅いお馬さんは誰も期待していないのでオッズが高い。
どのお馬さんが強いかを知ることは過去実績を見れば容易にわかるが、その強さが今日のレースで素直に発揮されるかは予測できない。体調が悪いかもしれないしね。それに例えその強いお馬さんが順当に勝っても、オッズが1.2倍とかでは他のレースで発生し得る損失をカバーするにはまったく不十分だ。だから平均的な競馬ファンは、確率論の当然の帰結としてJRAの寺銭分だけ負けてしまう。株式市場には幸い胴元がいないが、市場をアウトパフォームしようとするなら単に優良企業に投資すればよいというわけではないのは、競馬と全く同じだ。その企業が優良であることなどみんな知っていて、既にオッズは低くなっている。

そこに大阪馬券王が現れた。彼がどういう人物か、詳細は重要ではない。
馬券王は市販の競馬予想ソフトに誰でも入手可能な膨大な統計データを打ち込んで、完全無欠の勝ち馬予想マシーンを作り上げた。統計データという過去のデータを使って将来のデータをはじき出したのだ。成績はこうだ。3年間に28億7000万円の馬券を購入し、30億1000万円の払戻金を得た。差し引き1億4000万円の利益。大したことないって? とんでもない。JRAは25%の控除率を設定しているので、確率的には払戻金は21億5000万円となり、7億2000万円のマイナスとなるはずなのだ。彼は株式市場で市場平均を40%アウトパフォームするに等しい成績を、機械的投資手法により成し遂げた。もはや天才と呼んで差支えない才能と着眼点の持ち主と断言して良いだろう。

こういう事象を目の当たりにして、投資家は株式市場では過去データは将来予測に役立たないという定説を無邪気に信じていてよいのだろうか。
かつてLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)というヘッジファンドがその定説に立ち向かったことがある。あくまでも、株式市場よりクレバーな参加者が多いとされる債券市場においてではあるが。
LTCMはノーベル経済学賞受賞者を2人も抱えた眩いドリームチームで構成され、数学の天才たちが統計データに基づいて債券価格の実力値を算出する仕組みを作り上げ、コンピューターがそれを基に自動的にリスク算定、判断を行う自動発注を代行した。人の意思など全く介在する余地がない、完全なるシステムトレード。
結果はどうだったか。大成功だった。LTCMは前評判を裏切らないリターンを叩き出し、世界中の投資家はこの天才集団たちをますます尊敬の眼差しで見つめた。そう、途中までは大成功だった。快進撃は設立から4年後のロシア財政危機で突如として終わりを迎える。簡単に言うと、統計データは財政危機が投資資金の流れに及ぼす影響を過小評価し、LTCMに誤ったポジションを大量に取らせた。そしてLTCMは破綻した。
統計データは債券市場に敗北したのか。どうだろう。ブラックスワンが起こる前は順調だったし、LTCMの投資手法はその後、投資銀行や他のヘッジファンドに流出して今も生き続けているが、全般的にそれらのシステムトレードはうまくいっているようだ。金利というある程度確かなものが価格のベースとなる債券投資は、統計データ投資と相性がいいのではないかと思う。

その点、株式価値は将来収益という不確実なものに多くを依存しているため、債券投資よりはるかに変数が多い。この変数に過去データは立ち向かえるのかという話になる。馬券王が立ち向かって勝利したこの領域に、ファンダメンタル・システムトレーダーたちは身を投じている。もしかしたら、その内の何人かは馬券王と同じ勝利のレシピを見つけ出し、莫大な利益をあげ続けているかも知れない。映画監督のゴダールは、印象批評に終始するアメリカの批評家に向けて「法廷でも通用する証拠を出せ」と言った。そのレシピは、まさに「法廷でも通用する証拠」だ。成長モデルだとか目に見えない抽象的な背景を一切取り除いた、実際に起こった現実の数値のみで構成される企業価値の本質。レシピを分析すれば、株式投資の深淵に触れることが出来るような気がする。投資家の見果てぬ夢。儲けなどどうでもいいので、そのレシピを知りたい。

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